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(294)古代ローマ「アウレウス金貨」(在位2年間)皇帝「Trajan Decius」紀元後250年 NGC 「MS」5/5、4/5 激レア! SOLD OUT
【商品詳細】
鋳造地:ローマ
鋳造時期:紀元後250年〜251年
重量: 4,65グラム
(スラブ合わせて46,2グラム)
直径:20ミリ
表面: IMP C M Q TRAIANVS DECIVS AVG (laureate and cuirassed bust of Decius right, viewed from behind)
裏面: VBERITAS AVG (右の手に「タップリ入ってる財布」、左の手に「豊穣の角」)。

ウベリタスは「豊穣の女神様」。

NGC鑑定番号: 2079063-012
NGC鑑定結果:「MS」5/5、4/5
専門書:
RIC IV.III, cf. 28 (bust also draped).
Cohen 104.
Calicó 3299

特記:

皇帝「デキウス」の短き在位(2年弱!!)金貨の種類の数が少なく、「デキウス」金貨の殆どは、不安定な波に見舞われて、Perfect状態はほぼ有りません。

言うまでもありませんが、世界中のコレクターさんには、短い在位皇帝のコインは著しく「垂涎の的」である。

然も、本品を激交渉と最高の値段で、そして円安前に買ったおかげで、こんなに素晴らしい値段だけで、ご提供できます!

特記その2:
短い在位のコインの希少性は一生変わりません。
その上、本品みたいに「訳あり」なしの上質金貨は、とりわけ、激レア。

殆どがCleaned、Brushed、Detailed、Repairedですので。。。

特記その2:
「STAR」に相応しい10番な光沢があります!

特記その3:
短い在位のコインオークション結果で一目瞭然!




Historically !

ガイウス・メッシウス・クィントゥス・トラヤヌス・デキウス(Gaius Messius Quintus Trajanus Decius, 201年 - 251年6月)はローマ皇帝(249年 - 251年)。 息子には共同皇帝の長男ヘレンニウス・エトルスクスと次のローマ皇帝の次男ホスティリアヌスがいる。

デキウスは190年頃、下パンノニア属州のブダリアで生まれた。

彼はマクシミヌス・トラクスや前任のフィリップス・アラブスとは異なり中央政府での政職の経験があり232年にはコンスルを務め、その後はプロコンスルとして下ゲルマニアやモエシア属州の総督を務めた。

その後の235年から238年にはヒスパニア・タッラコネンシス総督を務めた。

245年に皇帝フィリップス・アラブスによりドナウ川駐留軍の指揮官として認められた。

デキウスはドナウ戦線でゴート族に勝利したのち同地の軍団によってフィリップス・アラブスに替わる皇帝として推戴された。

渋々帝位を受け入れたデキウスはローマへ向けて進軍し249年の9月ころ、マケドニア属州ベロエア(現ブルガリア、スタラ・ザゴラ)にてフィリップ・アラブスの軍に勝利しフィリップス・アラブスは戦死した。

ローマへ入城し政権を掌握したデキウスは建築物を修復(コロッセオなど)や、新造(デキウス浴場など)をするなどした。

250年、再びドナウ川を越えてきたゴート族に対して戦争を開始する。

トラキア総督がゴート族と結託して反乱を起こすなどしたため戦争は長期化し、250年にはウェロナかマケドニア属州のベロエアでゴート人に敗れた(ベロエアの戦い)。

そして251年の7月ころに起こったアブリットゥスの戦いでゴート族の罠にはまり長男で共同皇帝だったヘレンニウス・エトルスクスとともに戦死した。

後継の皇帝はデキウスの次男であり、ローマで留守居をしていたプリンケプス・ユウェントゥティス(皇太子)のホスティリアヌスだった。

しかし、敗北したドナウ遠征軍は軍内の将軍であったガイウス・ウィビウス・トレボニアヌス・ガッルスを皇帝に推戴した。

内乱の防止の為か軍の圧力かは不明だがトレボニアヌスはホスティリアヌスを養子として共同皇帝とした。

彼の統治は賢明なものだったが、古来よりのローマの信仰を強化するためキリスト教を迫害したため彼へ対する評価は低いものとなっている。



English Version

Gaius Messius Quintus Traianus Decius (c. 201 AD – June 251 AD), sometimes translated as Trajan Deciusor Decius, was the emperor of the Roman Empire from 249 to 251.

Born on the Danubian frontier, Gaius Messius Quintus 「Trajanus Decius」 came to the throne with a ready-made agenda for the restoration of Rome's fading glory. He tried several innovations on the financial front, including the introduction of a new coin denomination, the double-sestertius. Despite these measures, the gold coinage of Decius shows a sharp acceleration in the debasement witnessed over the previous two decades, which had seen the aureus drop from about 6.5 grams under Severus Alexander (AD 222-235) to about 4.5 grams under Philip I (AD 244-249). Aurei struck near the beginning of his reign average about the same as Philip's, but this plummets by more than a gram over the course of the next 18 months. Perhaps seeking to confiscate their estates and replenish the treasury, he cracked down harshly on those he believed were undermining the ancient traditions of Rome. Christianity was particularly singled out, and thousands of Christians were forced to either make sacrifice to Rome's gods or face torture, execution and seizure of assets. Renewed barbarian invasions late in AD 250 took his attention away from domestic affairs. Seeking a decisive battle, Decius pursued the fleeing Goths into the marshes of Abrittus and straight into an ambush. Decius and about half of his army perished in the debacle, the first time a Roman emperor had fallen to a foreign enemy. The Christians claimed it was God's revenge on an arch-persecutor.

Trajan Decius (AD 249-251). AV aureus (20mm, 4.65 gm, 11h). « NGC MS 5/5 - 4/5 »Rome.
IMP C M Q TRAIANVS DECIVS AVG, laureate, cuirassed bust of Trajan Decius right, seen from behind /
VBERITAS AVG, Uberitas standing facing, head left, purse in right hand, cornucopia in left.
RIC IV.III 28. Calicó 3299.

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