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(286)イタリア 「Ferdinando the Catholic」Ducat金貨 (1504年〜16年頃) 「MS63」超激レア「ナポリ」!唯一のMS!! SOLD OUT
【商品詳細】
鋳造年/在位期間: 1504年〜1516年!

鋳造地:ナポリ

重量: 3,54グラム
(スラブ合わせて43,3グラム)
直径: 23ミリ
表面: 「FERNANDVS D G R AR V S I」
裏面: 「FERNANDVUS D G R AR V YES」
NGC鑑定番号: 44251206
NGC鑑定結果:「MS63」
専門書: Friedberg 828
出品歴:
Ex: Stacks March (1988年) Lot 2114
Ex: Heritage Auctions 3004 (2009年1月05日) Lot 21702


同じタイプで、ここ10年の出品歴と結果:

裸状態で出品されたとのことですが、状態はAU!

2012年5月23日 Sincona (Auction 5、lot 18) 落札額: 12490ユーロ!(約180万円)

2015年11月29日 Numismatica Ars Classica (Auction 89、Lot 754) 落札額: 16.000ユーロ!
。。。


フェルナンド2世(西:Fernando II、Fernando el Católico 1452年3月10日 - 1516年1月23日[1])は、アラゴン王(在位:1479年 - 1516年)。カスティーリャ王としてはフェルナンド5世(在位:1474年 - 1504年)。カタルーニャ語名ではフェラン2世(Ferran II)、アラゴン語名ではフェランド2世(Ferrando II)。

カトリック王(el Católico)と呼ばれ、最初の妻であるカスティーリャ女王イサベル1世と共にカトリック両王(Reyes Católicos)と呼ばれる。

カトリック両王 編集
54歳のフアン2世と27歳の後妻フアナ・エンリケスの間に生まれる。フアナにとっては第1子であった。1461年、フェルナンドが9歳のときに異母兄カルロスが死去し、アラゴンの王太子となる。

1468年、父からシチリア王位を継承し、シチリア王フェルディナンド2世となる。1469年10月19日にカスティーリャ王女イサベルと結婚する。この婚姻関係の効力として、1474年にイサベルが女王に即位したのに伴い、カスティーリャ共治王フェルナンド5世となった。それまではアラゴン王である父を補佐し、対フランス王国戦に従事していたが、これ以降はイサベルと共にカスティーリャ国内の統一、そしてイベリア半島に唯一残ったイスラム教国グラナダ王国との決戦を最優先とする方針を固める。

まずカスティーリャの王位継承問題に介入してきたポルトガル王アフォンソ5世と戦い勝利した後、カスティーリャ領内の反イサベル派を北から南へ討伐していく。その中途の1479年、フェルナンドは老父の死去に伴いアラゴン王位を継承し、アラゴン王フェルナンド2世となる。カスティーリャの共同統治者であるフェルナンドがアラゴンの王位をも得たことにより、両国は内政面ではそれぞれ独立しているものの対外的には一体化し、カスティーリャ=アラゴン連合王国、すなわちスペイン王国(イスパニア王国)が誕生した。1492年1月、グラナダ王国を滅亡させて、約800年にわたるレコンキスタに終止符を打つ。1496年にはローマ教皇アレクサンデル6世により、この偉業が讃えられ、フェルナンドとイサベルは「カトリック両王」の称号を授けられることになる。

婚姻政策 編集
フェルナンド夫妻はグラナダ戦の後、休む間もなく王宮をバルセロナへ移し、対フランス戦へ突入した。翌1493年に和平条約が成立し、フランスはピレネー山脈の北側に撤退した。しかし、この和平が一時的なものであることは容易に予測できたため、他の強国との婚姻政策をとる。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘マルグリットを長男フアンの妃に、同じく皇帝の息子ブルゴーニュ公フィリップを次女フアナの婿に、また、イングランド王ヘンリー7世の長男アーサー王太子を四女カタリーナの婿として、スペイン、オーストリアとネーデルラント、イングランドのフランス包囲網を形成した。



フランスは1494年からイタリア戦争を開始するが、1504年に締結された条約により、フランスはナポリの王位を放棄し、フェルナンドがナポリ王を兼ねることとなった(ナポリ王フェルディナンド3世)。

イサベル女王の死後 編集
1504年11月にカスティーリャ女王である妻イサベルが死去したため、フェルナンドはカスティーリャ王の地位を失った。カスティーリャ王位は、長男フアン、長女イサベル、そして彼らの子らが既に死去していたため、次女フアナが継承した。フアナは夫フィリップ美公や子らと共にフランドルで生活していたため、彼女らがスペインに到着するまでの間、フェルナンドはイサベルの遺言に基づいてカスティーリャの摂政の地位に就いた。


1506年にフアナがカスティーリャへ帰国し、即位の手続きを終えると、フェルナンドはカスティーリャから離れ、政情不安定なナポリへ向かった。およそ4ヶ月後、フアナの夫フィリップが疫病で急死した。一説には毒殺とも伝えられ、

これ以降フアナの精神状態は極度に不安定となり政務を執れなくなる一方、カスティーリャの貴族らは権力闘争を始めて混乱状態に陥る。フェルナンドは急ぎカスティーリャへ戻り、女王フアナの承諾を得て再度摂政となり、政務を代行することになった。

その一方でフェルナンドは、新たにアラゴンの王位継承者が誕生することを期待して、1505年に南フランスの貴族フォワ家の娘で異母姉ナバラ女王レオノールの孫であるジェルメーヌ・ド・フォワと再婚した。翌年、待望の男子が出生するが夭折してしまう。

1511年10月、フェルナンドはローマ教皇ユリウス2世の提唱する対フランス戦同盟(神聖同盟)に参加する。その一方で1512年には、ピレネー山脈の西部にあったナバラ王国を占拠してカスティーリャへ併合した。その結果、イベリア半島はスペイン(カスティーリャ=アラゴン)とポルトガル王国の2国だけとなった。


ナバラ王フアン3世と女王カタリナはフランスへ逃れ、その後もたびたび領地を奪還しようとして出兵が繰り返されるが、旧領の一部を取り戻すことができたのはフェルナンドの死後であった。この部分はナヴァール王国として1593年まで存続し、その後は事実上フランスに併合される。


A pristine 「Mint State」artifact from the Renaissance: an Italy Ducat (1504-16) 「Naples, Ferdinando the Catholic」graded NGC MS63 !

This is an exceptionally bold strike, however the flan is slightly out-of-round. This is a very rare type and quality. The obverse presents Ferdinand II of Aragon (aka Ferdinand the Catholic) with his hair to his shoulders, crowned and draped bust facing right.

Legend: 「FERNANDVS D G R AR V S I」

A beaded border surrounds him.

The reverse: 「FERNANDVUS D G R AR V YES」

A crowned coat of arms, the quadripartite of Castile and Leon at the 1st and 4th, Aragon-Naples at the 2nd, and Aragon-Sicily at the 3rd, and pomegranate (from Granada) at the tip. A beaded border surrounds the coat of arms. In the field on each side is found 'I' and 'T' for mint master Gian Carlo Tramontano. This is a stunning example of Renaissance numismatic art, both for its artistry on both sides as well as its superior state of preservation.

The collector who purchases this will truly have a numismatic treasure.

Ferdinand II (Ferdinando the Catholic, 1452-1516) was King of Aragon from 1479 until his passing in 1516. As the husband of Queen Isabella I of Castile, he was the King of Castile from 1475 to 1504 as Ferdinand V. Jointly with Isabella, he ruled over a dynastically unified Spain. The two of them are known as the Catholic Monarchs. The Crown of Aragon inherited by Ferdinand in 1479 included the kingdoms of Aragon, Valencia, Majorca, Sardinia, and Sicily, as well as the Principality of Catalonia. His marriage to Isabella I of Castile is considered the "cornerstone in the foundation of the Spanish monarchy." They played an important role in the European colonization of the Americas, for they sponsored Christopher Columbus' first voyage in 1492. It was that same year that Ferdinand and Isabella defeated Granada, which was the last Muslim state in Western Europe. That event completed the centuries-long Reconquista. In 1504, after a war with France, Ferdinand conquered the Kingdom of Naples. The year 1512 saw him conquer the Kingdom of Navarre, thereby ruling all lands comprising modern-day Spain until his death in 1516. He was nominally succeeded by his daughter Joanna, however power was soon in the hands of her son Charles I, who later became Holy Roman Emperor Charles V.

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