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(285)「古代ギリシャ」 紀元前322年頃 アレキサンダー大王 「Stater金貨」「CH MS STAR 5/5、5/5 Fine style」!!! SOLD OUT
【商品詳細】
鋳造年:(大王の崩御直後)紀元前322年〜320年!

製造地:「SUSA」!
重量: 8,50グラム (スラブ合わせて48,9グラム)
直径: 18ミリ
表面:女神アテナ (ヘルメットにPerfectな「渦巻き蛇」)
裏面: 「AΛEΞANΔPOY / BAΣI-ΛEΩΣ」(Alexandros Basileus), ミントマーク「ΛA」!

NGC鑑定番号: 3986391-001
NGC鑑定結果: 「CH MS STAR 5/5,5/5 FINE STYLE」!!
専門書: Price 3845

NGC最新スラブ(現在2022年5月)
特記その1:

本品鋳造地である古代町「SUSA」は、「アレキサンダー大王」生前/死後直後の数々鋳造地「ミント」の中からは、現代まで「生存」できた好状態コインは著しく少なく


特記その2:
The Antic Town of 「SUSA」!

鋳造地「スーサ」のミントがMemphis、Cappadocia,などに次いで、最もかなり希少の一つ!

アレキサンダー大王の鑑定済み「5個のGEM MS」は 「GEM」とはいえ、すべて「STARやFine Style」鑑定なし!

なので、ある意味では、本品がこの上なく「最上!」。

最上位鑑定現状:

鑑定済みの「CH MS-STAR」中「5個」が「Fine Style」鑑定なし。
そして!「STAR」鑑定ありでも、StrikeやSurfaceが5/5でないことはほぼ全てであります。

「STAR」鑑定済み中の半分以上が、「Sidonミント」なのです。


本品同様の素晴らしき鑑定結果貰えた、もう一つの「CH MS Star、5/5-5/5、Fine Style」は「セレウコス1世」時代の後期鋳造「Babylone」ミント(紀元前311年〜300年)になります。
NGC鑑定番号:2413197-011

コロナ禍になってからは、「ウナとライオン」みたいな何百個(400個)もある、しょっちゅう出回る様なコインと違って、今迄、本当の希少性が高く、最も上位Grade鑑定のコインが、上がってゆく価値が鰻登りの一言。

まだまだ、ありえないほど、過小評価であり「安すぎ」だった時代(2020年前の間)が悔しいね。
ポケモンカードの「初版」(1996年)も今、一枚1億円時代。。。

兎に角、歴史上で、自らの手で「古代世界」を変えた、最も知られる人物の1人「アレキサンダー大王」の最上位鑑定コインはここ2年倍から数倍。。。

マサしく!投資対象もってこいの「代名詞」であり、高額でありながら、世界中の何処にも「保管や移動」に「最強」とされる古代コイン。



古代コイン未経験や素人の方々にも、判り易く « Heritageオークション »歴から,一つのコインで例えると:

NGC鑑定番号2047773-001 (Sidonミント)「CH MS、FS)!
2019年4月25日 Lot 30029
落札額は「11400ドル」!

2年後、同じHeritageで、そのコインの再出品(2021年8月19日Lot 33010)の落札額:36000ドル(2年で3倍以上)。

ここ10年間で言うと、2019年中にオークション結果が、非常
に評価額以下で、安すぎたのは確かです!


然しながら、5年後?で、どうなるコトか?。

「アレキサンダー大王」の最上位「Gem」級を持てる方は、世界でOnly 5人と、本品みたいな大希少コインは、あと1人か2人程度。

10年先のお楽しみですね!

最後に、まだ「ウクライナ侵攻」前でありますが、今年1月のHeritageオークションでは、ただの、普通の、「MS」(StarやFine Styleなし!)が25000ドル以上。

2022年1月 Lot 30010 (MS 5/5、4/5)Tarsus Mint 落札額28,800ドル!

同日オークション
Lot 30011 (同じくMS 5/5、4/5)の後期鋳造(紀元前310年〜275年)落札額25,200ドル!

今も、今迄も、いつでも「古代コイン」が安く買えるっていう誤った意識で、どんどん上がってくる中に、新規の投資家やコレクターさんなどに、別の方々に買われてゆく。

物が消えてゆく。。。値段が爆発的に暴騰してゆく。。。


スーサ、またはスサ(英語: Susa -発音:[ˈsuːsə]、ペルシア語: شوش‎ -音写:Shush -発音:[ʃuʃ]、ギリシア語: Σοῦσα -発音:[ˈsuːsa]、シリア語: ܫܘܫ‎ -音写:Shush、古ペルシア語: Çūšā 、聖書ヘブライ語: שׁוּשָׁן -音写:Shushān)は、現在のイランの西南部に位置し、エラム王国時代、アケメネス朝ペルシャ時代には、王都として栄えた都市。

スーサの歴史は古く、アクロポリスからは紀元前4000年にまで遡る神殿跡が発掘されている。放射性炭素年代測定によると、早ければ紀元前4395年にまでさかのぼる。

紀元前30世紀から紀元前7世紀に跨がるエラム王国の首都であった。

紀元前647年、アッシリアのアッシュールバニパルによって破壊された(スーサの戦い)。

紀元前540年、アケメネス朝ペルシャの王キュロス2世に占領されてエラムは滅んだが、王宮が置かれて王の道の起点として再び栄えた。

ダレイオスが紀元前331年のガウガメラの戦いでマケドニア王国のアレクサンドロス3世に敗れてアケメネス朝が滅んだ後、紀元前324年、アレクサンドロスは帝国内の安定を図ろうと家臣と征服部族とのスーサの合同結婚式(英語版)を行ったとの記録がある。

直後の紀元前323年にアレクサンドロスは死亡し、アレクサンドロスの部下であったセレウコス1世が立ち、スーサはセレウコス朝の支配下に入った。紀元前250年頃にセレウコス朝の総督 (サトラップ)だったアンドラゴラスがセレウコス朝からの独立を宣言したものの、直後の紀元前247年頃にパルニ氏族によって放逐されて、以降はパルティアと呼ばれ、セレウコス朝とは敵対する時代となる。遺跡から多くのパルティア時代の陶器等の遺物が発見されていることからパルティア時代に至ってもスーサは都市としての繁栄を続けたと考えられる。

その後116年頃のローマ皇帝トラヤヌスの侵攻によりスーサも占領された。

サーサーン朝のシャープール2世時代(309年 - 379年)に再建された。

638年はムスリムの侵攻を受け、モスクなどの遺構は残ったが、1218年モンゴルが侵略した。その後、住民のほとんどは北部のデズフールなどに移動し、現在は小さな集落のみとなっている。5世紀から13世紀の間はかなりの東方教会のキリスト教徒がいたようである。

MACEDONIAN KINGDOM. Alexander III the Great (336-323 BC). AV stater (18mm, 8.50 gm, 10h). NGC Choice MS★ 5/5 - 5/5, Fine Style. Early posthumous issue of Susa, ca. 322-320 BC. Helmeted head of Athena right; helmeted decorated with coiled serpent / AΛEΞANΔPOY / BAΣI-ΛEΩΣ, Nike standing left, holding wreath and stylis; ΛA under wing in left field, monogram under wing in right field. Price 3845 corr. (location of control marks). Rare. Struck in high relief with attractive gold toning.

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