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(283)古代エジプト プトレマイオス2世「オクトドラクマ金貨」紀元前280年ご頃「XF 5/5, 4/5 FINE STYLE」!!! SOLD OUT
【商品詳細】
鋳造年:紀元前285年〜261/260年!

在位期間: 紀元前285年〜246年

鋳造地:アレキサンドリア(エジプト)
重量: 27,70グラム
(スラブ合わせて67,4グラム)
直径: 27ミリ
表面: 「AΔEΛΦΩN」プトレマイオス2世、アルシノエ2世
裏面: 「ΘEΩN」プトレマイオス1世、ベレニケ1世
NGC鑑定番号: 4936358-006
NGC鑑定結果:「XF」5/5、4/5 「FINE STYLE」!!!
専門書: CPE 313. Svoronos 603


特記その1: ホルダーは、完全無傷であり、NGC最新スラブ(現2022年5月)!

特記その2: グレード上「本品の凄い希少さ」とは

(現在2022年5月)NGC鑑定済みPopulation 53個中 « FINE STYLE »が貰えた枚数は、おそらく5枚程度です。

(NGC鑑定済で、歴代のオークションなどを詳らかに調べた結果)53個中確認できたのは32枚。(本品除いて、Fine Styleありで発見できたのは一枚Only)。

極中の極一部だけではなく、本品の「Fine Style」Denominationには、先程の説明通り、もう一枚の « Fine Style »(NGC番号4254276-002) « Edge-Damaged »と違って、一切「マイナス的表記」(Graffito,Scratches,repaired…)完全なし!!

さらに、本品もまた、ほぼ完全 Full Scoreの5/5、4/5。

これほど、望ましい「特上」オクトドラクマ金貨は皆無。

コレクターや投資家の間で、兎にも角にも、このコインは「憧れ」の一言。


(鋳造地)古代エジプト「アレキサンドリア」:

近現代の世界では「アレクサンドリア」と言えば、当地を指す場合が多い。

マケドニア国王アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)が、その遠征行の途上でオリエントの各地に自らの名を冠して建設したギリシア風の都市の第一号であった。

建設当時のギリシア語(古典ギリシア語再建音)ではアレクサンドレイア (Ἀλεξάνδρεια, Alexandreia)。

現代の現地語であるアラビア語においても「アレクサンドロス(イスカンダル)の町」を意味する名で呼ばれており、文語のフスハーではアル=イスカンダリーヤ (الإسكندرية, al-Iskandariyya)、口語のエジプト方言ではエスケンデレイヤ (اسكندريه, Eskendereyya) という。



「地中海の真珠」! The Pearl of the Mediterranea


とも呼ばれる港町アレクサンドリアでは、街中に英語の看板も多く、大きなサッカー場もある。歴史的経緯から多くの文化的要素を合わせ持ち、独特かつ開放的でコスモポリタン、そこはかとなく欧米的な雰囲気が漂う国際観光・商業都市である。国際機関も置かれ、世界保健機関の東地中海方面本部がある。




History of King « Ptolemy II »


プトレマイオス2世「ピラデルポス」(Πτολεμαίος Β' ο Φιλάδελφος)

在位:紀元前285年〜 246年

プトレマイオス朝エジプトのファラオである。同母姉であり妻でもあるアルシノエ2世との強い結びつきのため、「兄弟(姉弟)愛」という意味のピラデルポスという異名を持つ。


プトレマイオス朝の創始者プトレマイオス1世とその2番目の王妃ベレニケ1世の息子で生まれた。ピラデルポスには二人の異母兄弟(父の先妻の子)プトレマイオス・ケラウノスとメレアグロスがおり、ともにマケドニア王となったが短期間の支配に終わった。

最初の妻はトラキア王リュシマコスの娘アルシノエ1世で、間に息子のプトレマイオス3世エウエルゲテスとリュシマコス、娘のベレニケの3人の子をもうけた。

アルシノエ1世との離婚後、彼は王妃アルシノエ1世の父リュシマコス王の未亡人となっていた同母姉のアルシノエ2世と再婚した。

プトレマイオス2世は、紀元前285年から父と共同統治を始め、父が死んだ紀元前282年から単独統治となる。プトレマイオス2世は、積極的な外征でエーゲ海の諸島を回復、また二度のシリア遠征(第一次シリア戦争、第二次シリア戦争)により領土を拡大し、更にアフリカとアラビアへの隊商路を確保した。さらにファイユームの地をギリシア軍人の植民地として開発するに成功し、これを「アルシノイテス州」と称した。

内政面では宰相アポロニオスにより、ギリシア人を支配階層とする官僚的中央集権国家の生産独占組織と強力な統制経済機構を布き、国富は王朝の歴史を通じ最大となった。文化面でも父の遺業を継ぎ、学士院と附属図書館に多数の学者、文人を招聘しアレクサンドリア文学の黄金時代を現出した。

姉のアルシノエ2世は、最初は王妃アルシノエ1世の父リュシマコス王の妃となり、その死後、異母兄弟のプトレマイオス・ケラウノスと再婚したものの、ケラウノスと対立してから母国エジプトへ逃れてきた。帰国したアルシノエ2世は謀略によってアルシノエ1世を弟と離婚させたうえ南方へ追放させ、代わって自らが弟の妃となった。プトレマイオス3世らアルシノエ1世の子供たちはアルシノエ2世が養育した。


English version

An Incredible

NGC XF 5/5 - 4/5 「FINE STYLE」!!!MNAIEON (Octodrachm).


Alexandria Mint。

Jugate busts of Ptolemy II and Arsinoe II right; Ptolemy is diademed and draped, Arsinoe is diademed and veiled; 「AΔEΛΦΩN」above, shield to left / Jugate busts of Ptolemy I and Berenice I; Ptolemy is diademed and draped, Berenice is diademed and veiled; 「ΘEΩN」above.

Numismatic References :
Svoronos 603. SNG Copenhagen 132.

Ptolemaic Egypt was the only ancient kingdom to strike large quantities of enormous gold coins weighing nearly an ounce, the distant ancestor of today's double-eagle.

This impressive denomination, today usually called an 「octodrachm」was worth 100 silver drachms, or one mina, a small fortune in ancient times.

The Greco-Egyptians called the 100-mina piece a mnaieion (min-EYE-on).

Calculating its buying power in modern terms is difficult, but a rough equivalent might be around $4,000.

Mnaieions were first struck under Ptolemy II (282-246 BC), who built the famous Library of Alexandria and towering Pharos lighthouse.

In 279 BC he married his sister « Arsinoe » in the manner of the old Egyptian pharaohs.

The first mnaieions carried four royal portraits: Ptolemy II and his sister-wife on the obverse with the epithet « adelphon »("sibling lovers"),
backed with the portraits of his parents, 「Ptolemy I Soter」and 「Berenice I」, now identified as « THEÔN » ("gods")!

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