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(267)古代ギリシャ Lysimachus 「ステタル」金貨 「CH AU STAR」紀元前280年〜261年! SOLD OUT
【商品詳細】
在位期間: 紀元前323年〜281年
製造年: 紀元前280年〜261年
製造地:Bizantium
重量: 8,49グラム(スラブ合わせて50,8グラム)
直径: 19ミリ
表面: アレキサンダー大王
裏面: BAΣIΛEΩΣ ΛYΣIMAXOY 「MYT」 (王座に「C」、「K」)
NGC鑑定番号: CH AU STAR 5/5、5/5
NGC鑑定番号: 4164364-001
専門書: Thompson (Lysimachus 241 as Pella)


リュシマコス(希:Λυσίμαχος、ラテン文字表記:Lysimachos、紀元前360年 - 紀元前281年、在位:紀元前306年 - 紀元前281年)はアレクサンドロス3世に仕えたマケドニア王国の将軍であり、彼の死後のトラキア、小アジア、マケドニアの王である。リュシマコスはディアドコイの一人としてトラキアに拠ってディアドコイ戦争を戦った。



リュシマコスはクランノン出身の宮廷の道化師であったテッサリア人アガトクレスの子として、マケドニアのペラにて生まれた。リュシマコスはアレクサンドロス3世の東征に側近護衛官の一人として参加して王の傍で戦い、紀元前326年のサンガラでのインド人との戦いで負傷した。また、リュシマコスはインドの哲学者(バラモン僧)のカラノスに師事し、カラノスが死んだ時には彼の馬を贈られた。

アレクサンドロスの死後紀元前323年に開かれたバビロン会議でリュシマコスはトラキアとケルソネソスの太守に任じられ、その間オドリュサイ人の王セウテス3世と戦った。

紀元前321年頃に結婚した最初の妻は帝国摂政アンティパトロスの娘ニケア(英語版)で、その間に、息子アガトクレス、二人の娘エウリュディケ、アルシノエ1世の3人の子をもうけた。のちにエウリュディケはアンティパトロス朝のマケドニア王アンティパトロス2世の妃に、アルシノエ1世はプトレマイオス朝エジプトのプトレマイオス2世ピラデルポスの最初の王妃・女王となった。



後継者問題はリュシマコスの晩年を不幸なものとした。紀元前284年、アルシノエはリュシマコスの長子アガトクレスを差し置いて自身の息子に王位を継がせようとし、アガトクレスに対し陰謀を企て、アガトクレスが反乱を企んでいるという讒言を受けたリュシマコスはアガトクレスを処刑した。この事件によって、多くのアジアの都市がリュシマコスに対して反乱を起こし、多くのアガトクレスの友人たちがリュシマコスを見限ってセレウコスの側についた。

アガトクレスの未亡人リュサンドラ(プトレマイオス1世の娘)はセレウコスの元へ逃げ込み、セレウコスはリュシマコスのアジア領へ攻め込んだ。時にリュシマコス79歳、セレウコス77歳であった。紀元前281年、リュシマコスはセレウコスとコルペディオンにて戦い(コルペディオンの戦い)、敗死した。



リュシマコスはマラコンというヘラクレイア人の槍を受けて死んだという。リュシマコスの遺体は息子アレクサンドロスの元へ届けられ、リュシマケイアに埋葬された。

リュシマコスの王国はセレウコスによって併合された。しかし、その直後にセレウコスはマケドニア王位を狙った同行者のプトレマイオス・ケラウノス(アルシノエの異母兄弟。父と対立してエジプトを追われ、アルシノエのもとに身を寄せていた。)によって殺害され、リュシマコスのマケドニアとトラキアの王位はケラウノスによって継承された。間もなくそのケラウノスもマケドニアにおけるガリア人との戦いで戦死した。

追記: ある時、アレクサンドロスの不興を買って手足を縛られ、耳と鼻と唇を削がれて見世物にされていた哲学者のカリステネスを哀れに思ったリュシマコスはカリステネスに毒を与えて死なせてやった。これに怒ったアレクサンドロスによってリュシマコスはライオンの檻に投げ込まれたが、リュシマコスはライオンを素手で倒し、感嘆した王に許された。このようにリュシマコスは勇猛な戦士であった。

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