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(252)古代エジプト プトレマイオス朝「ベレニケ2世」生前オクトドラクマ金貨「Choice AU★ 5/5 4/5 FINE STYLE」紀元前244年〜222年 !!! 唯一最高鑑定! SOLD OUT
【商品詳細】
在位期間: 年紀元前244年〜222年
鋳造時期: 紀元前246年〜222年
鋳造地: アレキサンドリア
重量: 27,79グラム
スラブ/コイン総量: 74,1グラム
直径: 28ミリ
表面: ベレニケ2世 (Berenice)
裏面: 「ΒΕΡΕΝΙΚΗΣ ΒΑΣΙΛΙΣΣΗΣ」(「女王」または「女帝」ベレニケ)
NGC鑑定番号: 2113106-050
NGC鑑定結果:「Choice AU★(STAR) 5/5 4/5 FINE STYLE」!!!

11月NGCに問い合わせたところ

NGC鑑定枚数(2021年11月現在) CH XF1枚 CH AU 2枚!(5/5、1/5 Repaired、Edge Marks NGC番号3968909-001) と (5/5,2/5 Scratches, Egde Scuff NGC番号 5770741-006)だけです。
本品がが唯一の「最高鑑定」!

専門書: CPE 895; Svoronos 1113; van Driessche obv. die D4;
SNG Copenhagen 169; Boston MFA Supp. 322; Hirsch 1814; de Luynes 3580…

過去オークション歴:
Ex 「Kunker 216」2012年10月08日 (Lot Nb 570) 75.000ユーロ (落札手数料は含まれていない)!
Ex 「Nomos 3」 (Zurich) 2011年5月10日 (Lot 157) 120.000スイスフラン (落札手数料は含まれていない).
Ex 「Nelson Bunker, Hunt Collection」 (Sotheby's、New York) 1990年12月04日 (Lot Nb 59).
Ex 「Hess-Leu 28」1965年5月28日 (Lot Nb 314).

特記その1:
ベレニケ2世が崇拝した天空神であり女神「バステト」は「猫の女神」として知られる。2人目の子供(プトレマイオス朝4世)が産まれた時を記念に女神バステト信仰崇拝のために神殿を建てさせた。

特記その2:
かみのけ座(髪座、Coma Berenices)は星座の1つ。ラテン語の学名は「ベレニケの髪の毛」という意味で、プトレマイオス朝3代目の王プトレマイオス3世の妃で共同統治者であった「ベレニケ2世」の名前を冠している。


ベレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を「女神アプロディーテー」に捧げると誓った。

夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えたところ、翌朝までに髪の毛は消えていた。

王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。
このとき、宮廷天文学者コノンは、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し、こう言いました:

「王妃の髪の美しさと優しい心に感心した大神ゼウスが捧げられた髪の毛を天に上げ、星座に加えられたのです」 

コノンが指さした先には、このかみのけ座が静かに輝いていたということです。

(以下はWikiから一部出典)

ベレニケ2世(希:Βερενίκη Β'、ラテン文字表記:Berenice II、紀元前267年または266年 - 紀元前221年)は、古代エジプト、プトレマイオス朝のファラオ・女王(在位:紀元前244年 - 紀元前221年)。キュレネ王メガス(在位:紀元前276年 - 紀元前250年)とシリア王アンティオコス1世の娘アパメー2世の娘。

プトレマイオス3世エウエルゲテスの妻であり、プトレマイオス朝第3代の支配者(共同統治者)。
プトレマイオス4世フィロパトル、アルシノエ3世らの母。

紀元前250年または紀元前249年頃、マケドニアの王子デメトリオス(マケドニア王デメトリオス1世の末子)と結婚したが、すぐに父王メガスが没し、夫がキュレネ王となった。しかし、夫がキュレネに来てまもなくベレニケの母アパメー2世と愛人関係になったため、怒ったベレニケは夫を母の寝室で殺害した。彼女とデメトリオスとの間に子供はなかった。

その後、エジプトのプトレマイオス3世エウエルゲテスと再婚し、彼らの間にはプトレマイオス4世フィロパトル、メガス 、リュシマコス、アレクサンドロス、アルシノエ3世、ベレニケが生まれた。

ベレニケ2世は、紀元前245年から紀元前241年のネメア競技祭 (ネメアで開催されていた古代ギリシアの4大競技祭の一つ)や、時期は不明ではあるがオリュンピア祭に参加したと言われている。

夫の遠征中に顧問団と共に内政を管理するなど優れた手腕を発揮した。プトレマイオス朝は全盛時代を迎えたが、彼女の貢献度は非常に高かったといえる。紀元前221年、夫の死後すぐ、息子プトレマイオス4世や廷臣たちの陰謀により殺害された。




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