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(232)古代ギリシャ (マケドニア王) ピリッポス2世 Stater金貨 「AU STAR」紀元前359年から〜336年 SOLD OUT
【商品詳細】
重量: 8,58グラム (スラブ合わせて: 49,2グラム)
在位期間/鋳造期間: 紀元前359〜336/333年
鋳造地:
直径: 約17ミリ
表面: 太陽神アポロン
裏面: ΦIΛIΠΠOY
NGC鑑定番号: 4936316-005
NGC鑑定番結果: 「AU STAR」5/5,4/5 !

特記: 「STAR」付きの生前/直後鋳造!



(出典:Wikipediaより)

アミュンタス3世の第三王子であり、幼少期に将軍エパメイノンダスが率いるテーバイに人質となっていた。人質といっても牢獄に幽閉されるような暮らしをしていたわけではなく、ある程度の自由が許されており、彼の才能を見込んだエパメイノンダスの家で教育を受けた。この時代に、ピリッポスはファランクス、エパメイノンダス考案の斜線陣などのテーバイ軍の陣形を学んだといわれている。
兄ペルディッカス3世の死後、帰国したピリッポスは紀元前359年から甥アミュンタス4世の摂政を務めた後、マケドニアのバシレウスに即位する。

ピリッポス2世が即位した頃のマケドニアは、まさに内憂外患の時代であった。外ではアテナイやイリュリア人などの周辺勢力の侵略を受け、内では王族のパウサニアスがバシレウスを狙っていた。

ピリッポス2世はある時は外交で、またある時は軍事力で、これらの問題を一つ一つ解決していった。

紀元前5世紀後期から少しずつ強国になっていたマケドニアを、ピリッポス2世は飛躍的に成長させた。彼は軍制改革を押し進めてマケドニア軍をギリシア最強の軍隊とし、領土を飛躍的に拡大させ、古代ギリシアの先進地域であった南部諸ポリスの抗争に積極的に介入した。

紀元前356年には、金鉱の開発を促進し、また軍事防衛の拠点とする都市ピリッポイ(聖書においてピリピ、フィリピとして知られる)を創設している。

最初の介入は紀元前356年に始まる第三次神聖戦争(英語版)である。テッサリアからの支援要請を受けたピリッポス2世はフォキスと戦い、緒戦では苦戦するも、紀元前352年のクロコスの戦い(英語版)でこれを下した。

紀元前346年にマケドニア軍がフォキスを制圧して第三次神聖戦争は終結した。

紀元前342年、ピリッポス2世はアリストテレスを招いて、王子アレクサンドロス(のちの大王)の「家庭教師」とした。

都ペラから離れた「ミエザの学園」で、紀元前340年までアレクサンドロスとその「学友」を教えさせた。この「学友」たちが、のちに彼を支える将軍となった。

紀元前338年にカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破り、コリントス同盟を成立させ、スパルタを除く全ギリシアに覇権を唱えた。

さらに、ペルシア遠征を目指したが、娘のクレオパトラとエピロス王アレクサンドロス1世との祝宴の席で護衛のパウサニアス(英語版)により暗殺され、ペルシア遠征の大事業は息子のアレクサンドロス3世に引き継がれた。

仲が悪く離婚していた元妻オリュンピアス(アレクサンドロス3世の母)が、暗殺の黒幕として永く取りざたされている。これについてはアレクサンドロスが関与したという説の他、いくつか有力な説があるため、いまだに曖昧である。また、紀元前357年頃にマケドニア南部のメトネ市攻略戦で、矢傷により右目を失った。

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