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(340)フランス(第3)共和国 「1886年」超弩級-金メダル 343グラム 「MS62」! 著名科学者「Chevreul」の「生誕100周年記念」!! SOLD OUT
【商品詳細】
鋳造時期: 1886年
鋳造地: France Paris (パリ)
重量: 343.9グラム (スラブ合わせて624,2gr)
純金分: 310グラム以上
刻印師: J.B.Daniel DUPUIS
金品位:900〜 920/1000と思われます
直径: 75,5ミリ
枚数: 一枚と思われます!
表面:
1: 左側: 「パリ市」の擬人化、パリ紋章
2: 右側: 「フランス共和国」の擬人化、国旗
3: 中央下方: 「PATRIE」(祖国)

4: 中央上: オリーブの木、真上は「星」
5: 真下(やや左側) 刻印師の名前


裏面: 「 LE CONSEIL GENERAL DE LA SEINE ET LE CONSEIL MUNICIPAL DE PARIS A CHEVREUL A L'OCCASION DE SON CENTENAIRE 31 AOUT 1886」パリ(セーヌ県議会/評議会)が開催した「ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール 生誕100周年記念」


本品の「受賞者」は、全世界で、かの著名な彫刻家「オスカル・ロティ」に「オマージュ」として、贈呈されたと思われます。


NGC鑑定番号: 6633792-001


NGC鑑定結果: 「MS62」


参考専門書: Carnavalet Nd3415 (銅メダル)


特記その1: フランス文化省の輸出許可証あり!




ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール(仏: Michel-Eugène Chevreul, 1786年8月31日 - 1889年4月9日)は、フランスの化学者。脂肪酸の研究で知られる。マルガリン酸の発見や、動物脂肪とアルカリから作られる石鹸の製法の開発者とされる。102歳まで生き、晩年は老年学の先駆者となった。



フランス西部のアンジェの医者の家に生まれた。17歳頃、パリのルイ=ニコラ・ヴォークランの化学研究所に入り、後にパリ植物園の国立自然史博物館でヴォークランの助手を務めた。1813年にリセ・シャルルマーニュの化学の教授となり、その後ゴブラン織の工場の名誉工場長として染色の研究も行った。1826年に科学アカデミーの会員とイギリス王立協会の外国人会員に選ばれ[1]、1857年にコプリ・メダルを受賞した。1830年にヴォークランの後を継いで、国立自然史博物館の化学の教授となり長くその職を続けた。100歳に際してはナダール親子の取材を受け、その記事は史上初のフォト・インタビューとなった。生まれてまもなくフランス革命に遭遇し、その100周年記念としてエッフェル塔の建設を目の当たりにすることとなった(塔はシュヴルールの死の翌月に完成し、シュヴルールの名が刻まれた)。102歳になって人体の老化についての研究を始めたが、ほどなくパリで没した。


化学の分野の業績には動物脂肪の研究があり、動物性脂肪や植物性脂肪の成分としてステアリンやオレインを発見し、さらにステアリン酸、オレイン酸、セタノールを分離し、命名した。これらの研究はろうそく製造業を進歩させた。

色彩の研究でも知られ、著書「色彩の同時対比の法則とこの法則に基づく配色について」において色彩を「類似色の調和」と「対比の調和」の2群に分類してポール・シニャック、ジョルジュ・スーラらの新印象派に大きな影響を与えた。




受賞者:

オスカル・ロティ (仏:Oscar Roty、1846年6月12日 - 1911年3月23日)は、フランスの彫刻家。



数多くのメダルやプラーク、建築物の装飾を手がけ、特にフランスの通貨や切手における『スムーズ』のデザインで良く知られている。



ルイ・オスカル・ロティは謙虚なパリの教師の息子として、7月王政下の1846年にベルヴィルで生まれた。ロティは国立装飾美術学校(後の国立高等装飾美術学校)のオラース・ルコック・ド・ボワボードランと、パリ国立高等美術学校のユベール・ポンスカルメに師事した。彼は石片とメダルの彫刻作品でローマ賞に応募し、1869年に初めて人々の耳目をそばだてさせ、1872年には2位を受賞し、1875年にはグランプリを獲得した。パリ万国博覧会でも1889年、1900年と2度のグランプリに輝いている。オスカル・ロティは彼のデザインによるコイン『スムーズ』で最も良く知られている。

これは1887年のフランス政府のメダル・プロジェクトで製作に着手されたが中絶し、1896年にフランス経済財務省からの依頼を受けて完成に至った。最初のコインは1897年に流通を開始し、1903年には同じデザインによる切手が発行された。ロティは1888年にフランス芸術アカデミーの会員に選出され、1897年には代表者に就任した。彼は1885年12月29日にレジオンドヌール勲章の騎士に任命され、1889年10月29日付けで将校に昇進、1890年12月4日に司令官となった。1905年にはサロン・ド・パリにて彫刻部門における初の受賞を果たした。ロティは1911年3月23日にパリで死去し、モンパルナス墓地の1区に埋葬された。


『スムーズ』の製作は1887年に始められた。これは一旦中断したが、1896年にフランス経済財務省の依頼により再度着手し、自然主義的な1887年版よりもアール・ヌーヴォー風の単純化された構図で造り変えられた。これは当時のフランスの造幣技術、とくにタイピングの技術的制約に配慮した結果である。




『スムーズ』はモデルを起用して製作されたが、モデルとなった人物は特定されていない。現在オスカル・ロティ博物館とポステ美術館にモデルの写真が収蔵されているが、この徒歩のポーズを取った女性をシャルロット・ラゴットとする意見がある。




彼女はロティが定期的に起用していた5名のプロのモデルのひとりであった。当時30歳近かった彼女は、1890年の結婚を機にモデルの仕事を辞めており、オスカル・ロティ博物館のキュレーターであるピエール・マルク・シャントローの説によると、ロティは『スムーズ』の製作に際して、通常のモデルではなくモンパルナスに住んでいた若いイタリア移民のロザリーナ(ロザリンダ)・ペシェから創造意欲を刺激された。




彼女はロティが思い描くイメージと合致しており、シャルロットはその後起用されていない。しかし、ガッリナーロ出身のロザリーナは1885年3月8日生まれで、製作時はまだ11歳である。





このことから、ロティは製作に際して数名のモデルを起用し、顔の部分のみにロザリ−ナ・ペシェを採用したと推察している[14]。

1897年版の『スムーズ』は、1960年の新フラン切り替えの際に再び採用された。フランスのユーロ硬貨はデザイナーのローラン・ジョリオによって近代的にデザインされた『スムーズ』が使用され、2008年にはホアキン・ヒメネスによる新デザインのスムーズ硬貨(la Semeuse cinétique)が発行された。一方、1903年に登場した『スムーズ切手』は、ロティが製作したレリーフ彫刻をもとに、彫刻家のルイ=ウジェーヌ・ムーションがデザインしたものである。ロティは原画の保管に消極的で、作品のロウ型も、その脆さゆえに多くが失われたが、1887年に製作された『スムーズ』のスレート原版から取られたロウ型は現在オルセー美術館に収蔵されており、ここでは約150点以上の彼の作品を観ることができる。

オスカル・ロティの息子であるジョルジュ・ロティがロワレ県のジャルゴーに設立したオスカル・ロティ博物館には、彼がパリ造幣局発行銀貨のために1896年に製作したものを含むロウ型や彫刻作品、デッサンが収蔵されている。



FRANCE
IIIe République (1870-1940). Médaille d'Or, centenaire de M.-E. Chevreul le 31 août 1886, par J.-B. Daniel-Dupuis 1886, Paris.


NGC MS 62 (6633792-001).

Av. À gauche, la Ville de Paris, debout de trois-quarts dos, tenant un écu aux armes de la ville et à droite, la République française, debout, de profil à gauche, laurée, coiffée d'un bonnet phrygien, tenant un drapeau, se serrent la main au-dessus d'un autel inscrit PATRIE, derrière lequel pousse un olivier et au-dessus duquel rayonne une étoile ; Signature DANIEL-DVPVIS.

Rv. Inscriptions en dix lignes : LE CONSEIL GENERAL DE LA SEINE ET LE CONSEIL MUNICIPAL DE PARIS A CHEVREUL A L'OCCASION DE SON CENTENAIRE 31 AOUT 1886.
Carnavalet ND3415 (bronze) ; Or - 343,9 g - 75,5 mm - 12 h
NGC MS 62 (6633792-001). Poinçons (corne) OR.


De petites marques de manipulation dans les champs et sur les listels. Rarissime sinon unique ! Superbe à Fleur de coin.
Michel-Eugène Chevreul (1786-1889) est un chimiste français connu pour son travail sur les acides gras et la saponification et sa contribution à la théorie des couleurs. Ces travaux lui valurent la médaille Copley en 1857.


Son centenaire est un événement national qui lui valut l'hommage de 「ROTY」 par une célèbre médaille, ainsi que mon exemplaire qui lui fut certainement offert personnellement par le Conseil général de la Seine et le Conseil municipal de Paris

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